よき人々の歴史

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嘉納治五郎 1860-1938

Kano Jigoro

■嘉納治五郎のプロフィール

嘉納治五郎は、世界に普及した柔道の創始者。
江戸時代に諸流諸派に分裂していた武術や柔術を、明治時代に再編成して、新たに心身の力を有効に活用する「柔道」として集大成した。柔道は単なる武術ではなく、自他共栄を根本原理とした人の生き方を基本に置くものであった。柔道は、人間にとって必要な、自分が生かされているという謙虚な姿勢を身につけ、知育・徳育・体育のバランスを養うものであるとした。
高等師範学校長や貴族院議員、国際オリンピック委員も務めるなど卓越した教育者でもあった嘉納治五郎は、柔道をはじめとするこれらの活動を通じて、多くの人に「自他共栄」という根本原理を自覚してもらおうとしたのだった。
『よき人々の歴史』より)

■嘉納治五郎の略歴

1860年 摂津国御影村(現兵庫県神戸市)に生まれる。
1877年 福田八之助の道場に入門。柔術を始める。
1881年 東京帝国大学文学部政治学および理財学卒業。
1882年 東京帝国大学哲学選科卒業。学習院で教師に。講道館柔道創設。
1885年 学習院教授に就任。
1888年 学習院教授兼教頭に昇格。
1892年 熊本の第五中等学校校長就任。
1893年 高等師範学校校長就任。
1903年 柔道がアメリカに広がる。
1909年 東洋初の国際オリンピック委員就任。
1911年 大日本体育協会の設立。初代会長就任。
1920年 高等師範学校校長退任。欧米視察へ。
1922年 講道館文化会創立。貴族院議員勅撰。
1936年 ベルリン会議で東京オリンピック招致に成功。
1940年 カイロ会議で東京オリンピック正式承認。帰国の途中、79歳で死去。

■嘉納治五郎の考えと結果

(考え)柔道を軸に教育活動によって自他共栄という根本原理を人々に自覚してもらう。
(結果)柔道はJUDOとして世界中に広がり、民族や宗教に関係なく受け入れられた。

■嘉納治五郎のネットワーク

○心動かされた人々・系譜

○同時代の関連する人々

勝海舟、クーベルタン、グラント将軍、渋沢栄一、高橋是清、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、広瀬武夫、夏目漱石、魯迅

○才能

勉学に優れ、漢学と洋学を学ぶ。
教えることを楽しむ天分があった。幼少の頃から自分より年少の者に教えていた。教えることが自分にとって楽しみであることを自覚していた。

○生活

研究熱心な生活。毎日研究と工夫は続けられ、新しい技が思いつけば、いつでもどこでも試した。何ごとも自ら行って身体で会得することが大切だと考えていた。
まず自分を整える生活。自分が人間としてしっかりしていないと、色々なものに流されてしまうと考えていた。また校長である自分が間違ったことを伝えれば、教師を通じて何百、何千と間違いが広がると、常に自分の言行に注意を払っていた。
教育第一とする生活。柔道だけでなく、雑誌の発行や文化会を設立して教育活動を行った。更に教師の育成のために高等師範学校校長を、国民全体の教育環境整備のために貴族院議員やIOC委員を務めた。中国からの留学生の教育にも積極的で、留学生を自分の家で世話することにとどまらず、自ら留学生のために宏文学院という学校をつくって経済援助まで施し、8000人近い学生の面倒を見た。

■嘉納治五郎の参考文献

きりぶち輝著『新装世界の伝記9 嘉納治五郎』(ぎょうせい)
(嘉納治五郎の生涯を、教育者としての面もふまえて書かれた伝記)
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阿部祐太著『よき人々の歴史』(阿部出版)
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■嘉納治五郎の著作

嘉納治五郎著『嘉納治五郎 私の生涯と柔道』(日本図書センター)
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