フレデリック・ウィンスロー・テイラーは、20世紀初めに工場管理のシステムである科学的管理法を発明した研究者。
科学的管理法は、仕事を技術化し、生産性を爆発的に増大させると共に、先進国における生活水準と生活の質の向上をもたらした。この成功は革新的であった。
しかし、革新的成果の根源は、科学的手法ではなく、人間の心にあった。
本来人間は「他人の幸せは自分の幸せである」という協働の心を持っていると、テイラーは考えていた。この協働の心を自覚することで、初めて手法が機能し、生産性の向上は実現するというのがテイラーの本質である。
現在でも、科学的管理法では、出発点となる協働の心の自覚が、最も大切なことであるはずなのだ。
(『よき人々の歴史』より)
1856年 アメリカ・フィラデルフィアに生まれる。
1874年 地元のポンプ製造工場入社。見習修業。
1878年 ミッドベール鋼鉄会社入社。
1882年 ミッドベールの機械工場の職長に昇格。公平な一日の作業の研究に着手。
1883年 スティーブン工科大学から工学士の称号を得る。
1895年 「出来高払賃金」の研究を発表。
1897年 全米第二のベツレヘム製鋼会社顧問就任。
1901年 ベツレヘム鋼鉄会社退社。科学的管理の普及に努める。
1903年 『工場管理法』公刊。
1906年 アメリカ機械技師協会(ASME)会長に選任。
1911年 『科学的管理の原理』発表。
1912年 アメリカ下院に科学的管理調査に関する特別委員会設置。
1914年 軍需工場における科学的管理研究の禁止法成立。
1915年 59歳で死去。
(考え)使用者の最大繁栄とあわせて従業員の最大繁栄をもたらす
(結果)科学的管理法によって爆発的な生産性の向上をもたらし、労働者の生活水準も飛躍的に向上した。
フォード
発明の才能。生涯50以上の特許を申請し、若くして富を得た。
テニスの名手。アメリカテニス協会ダブルスとアメリカ青年テニストーナメント(ダブルス)のチャンピオン。
自分だけでなく、他人のために尽くす生活。富や名声よりも科学的管理法が普及することを望んだ。自分が知識を得て幸福になったら、今度は周りの幸福のために還元しようとした。その真摯さに心を打たれ、最初は反対していた工員も必ずテイラーに協力していった。
何ごとも経験の生活。経験してこそわかるものだと、何でも思いついたらすぐに実行してみた。自分自身の経験、同じように仕事をしていた人々との経験、そして意見交換をした経験が、研究成果であった。
寺澤正雄著『テイラー フォード ドラッカー〔改訂版〕』(森山書店)
(テイラーの生涯と業績、そしてテイラーの科学的管理法についてまとめられている)
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P・F・ドラッカー著、上田惇生編訳『テクノロジストの条件―ものづくりが文明をつくる』(ダイヤモンド社)
(生産性革命の担い手としてテイラーを、技術史の中に位置づけて論じている)
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阿部祐太著『よき人々の歴史』(阿部出版)
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F・W・テイラー著、上野陽一訳『科学的管理法』(産能大学出版)
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