よき人々の歴史

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平沼騏一郎 1867-1952

Hiranuma Kichiro

■平沼騏一郎のプロフィール

平沼騏一郎は、第35代内閣総理大臣。
戦前に検事総長、大審院長に登り詰めるなど法曹界で活躍した後、政治家に転身し、1939年に第35代内閣総理大臣を務めた。現衆議院議員の平沼赳夫の養父にあたる。
司法の世界でも政治の世界でも、生涯「徳こそ本質である」という考えを貫いた。平沼騏一郎は、「自然の中で生きる人間は、自然に順応して生きるために徳という心性を授かって生まれてくる」と捉えていた。この天性の徳に従うことは、自然であり、言い換えると人道、正義だった。ゆえに個人個人が天性の徳に従って生きれば、それは国家全体が徳に従うことになり、さらには世界全体に広がって、徳によって融合することができるとした。
平沼騏一郎は、「この徳を各自が実践して養うことで、自然に順応した正しい生き方ができる」と人々に伝えると共に、自らも司法と政治の世界で実践した。
『よき人々の歴史』より)

■平沼騏一郎の略歴

1867年 岡山県津山に生まれる。
1888年 司法省入省。
1911年 司法次官就任。
1912年 検事総長就任。
1921年 大審院長就任。
1923年 司法大臣就任(第二次山本内閣)。
1924年 貴族院議員勅撰。枢密院顧問官就任。国本社設立。
1926年 枢密院副議長就任。男爵叙任。
1936年 枢密院議長就任。
1939年 第三十五代内閣総理大臣就任。
1940年 国務大臣、内務大臣就任(第二次近衛内閣)。
1941年 国務大臣就任(第三次近衛内閣)。右翼に銃撃される。
1945年 枢密院議長再就任。平沼邸焼き討ち。
1946年 極東軍事裁判でA級戦犯指定終身刑。
1952年 病気のため仮釈放。84歳で死去。

■平沼騏一郎の考えと結果

(考え)徳を本質だと知り、徳を養う生活を実践するのが正しい生活。
(結果)常に謙虚に、司法、政治の世界で実践した。また教育活動によって人々に伝えた。

■平沼騏一郎のネットワーク

○心動かされた人々・系譜

稗田阿礼、淵邊高照、兒島高徳、曾国藩、李鴻章、北条泰時、紀貫之チャップリン

○同時代の関連する人々

山本権兵衛、東郷平八郎、西周、松平康倫、山県有朋、今北洪川、近衛文麿、後藤新平、原敬、嘉納治五郎

○才能

書道。父親の「文字が人格を培う」という方針から小さいころから稽古。祖父は能書家。
教育者。兄は早稲田大学総長。国本社立ち上げだけでなく、日本大学、大東文化大学総長を務めた。

○生活

実践を重んじる生活。昔の偉人が精神修養をしていたとわかると早速禅をはじめた。考証重視の学問の風潮に警鐘を鳴らす。
根問いの生活。子供のころから祖母を相手に質問しつづけた。自ら考え質問することで学んだ。

■平沼騏一郎の参考文献

平沼騏一郎著、御厨貴監修『歴代総理大臣伝記叢 書第26巻 平沼騏一郎』(ゆまに書房)(平沼騏一郎の論文や口述筆記などの資料集。)
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岩崎栄著『伝記叢書264 平沼騏一郎伝』(大空社)
(幼少時代や家庭のエピソードが豊富な伝記。)
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阿部祐太著『よき人々の歴史』(阿部出版)
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